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友人

友情に順位をつけるのは悪いこと?!改めて考えてみた!

 

みなさんの中に、幼いころ「友情に順位をつけることはいけないことだ」と教えられた方はいませんか?

実は、私自身がそのように小学校の頃教えられて、違和感を覚えた記憶があります。

何故なら、どう考えても人間関係において、仲の良さというものの度合いの差は存在するものだと小学生の段階で気づいていたからです。

学校の先生ですら、「~ちゃんは、~ちゃんと仲がいいね」と言っているではありませんか!

そのように発言している時点で、友情には順位が存在していることを先生自身が認めているようなものです。

小学生の私は、明らかに矛盾している学校の先生に対する不信感を覚えていました。

今回は、そんな「友情の順位」について考えていきたいと思います。




友情に順位をつけることは悪いことではない!

まず、断言したいと思いますが、私は友情に順位をつけることは全く悪いことではないと思っています。

というより、自然と人間は自分の周りの関係において、順位をつけてしまうものなのです。

「A君よりB君の方が私は気が合うな」

このように考えることは、ごくごく自然なことであると思いませんか??

しかし、このように考えただけで、すでに「A君よりB君の方が順位は上である」となります。

つまり、「人間関係に順位をつけてしまう」のは、人間の感情ではごくごく普通のことなのです。

この普通の感情を「悪」とされては、たまったものではありません!

何故学校の先生は順位をつけることはいけないと言ったのか

では、何故学校の先生は「順位をつけることはいけない」などというのでしょうか?

小学校の教育は、理想論の教育に基づいているからです。

簡単に言ってしまえば、「みんな一緒に仲良くしよう!」というお花畑的な発想の教育です。(まぁ、小学校の教育までは仕方のないことだとは思いますが)

そのような発想が行き過ぎると、「みんなが一緒に仲良くするためには、友情に順番などあってはならない」という極端で不自然な論理が生まれてしまいます。

つまり、私がいた学校では極端な友情の平等主義が主張されていたのです。

しかし、これは小学生の私でもわかったように、これはかなり変な主張です。

何故なら、人間関係には、どうしても関係の深さには差が生まれるからです。

また、どんなに時間を共に過ごそうとも仲良くできない人というものは誰にだって存在します。

それなのに、「順位をつけてはいけない」というのは、現実を無視した理想を押し付ける発想です。

こんなおかしな主張は、教育において唱えられるべきではありません。




もちろん、あえて順位をつける必要もないけどね

もちろん、あえて順位をつける必要があるとは私は考えていません。

例えば、「A君とは~の分野で、B君は~の分野でそれぞれ気が合っているから、特に順位などは感じたことはない」という人もいるでしょう。

また、「私にとって友情はみな等しいもの。だから、順位などは存在しない」と考えている人もいるでしょう。

それはそれで、いいと私は思っています。

あえて順位をつける必要などはありません。

さいごに

私が主張したいことは、「友情に順位をつけるべきだ」ということではありません。

「多くの人間は、人間関係に順位を感じるし、それは自然なこと。それを「悪」とすることはおかしい」ということです。

人間が自然に感じることを「いけないこと」だと抑え込み、罪悪感を覚えさせるような教育など私はあってはならないことだと思います。

そのような、抑え込む教育を行っていては、社会に閉塞感が漂ってしまいます。

現実をあるがままに受け入れて、子どもたちに教えていくということもまた教育には大事なことなのではないでしょうか?